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by クレ カツヒロ ・ ロバート(続)

アメリカでの診療の日々

 

アメリカで外科医として開業


やしの木が林立する町並みが印象的な南カリフォルニア。ロスアンゼルス郡に位置するビバリーヒルズにはハリウッドスター御用達の形成外科医も多く開業する街である。ハリウッドと隣り合わせで多くのハリウッドスターが実際に住居を構えている。

わたしが専門医教育(レジデンシーという)を受けたUCLAもここから10分くらいの場所に位置し、ハリウッドの多くのスターが手術を受けるためにやってくる。ビバリーヒルズはその中心地をトライアングル(三角地帯)といい、歩いてもたいした距離でない小さな街であるが、そこに多くの形成外科医がオフィスを構えている。全米で形成外科医の密度が一番高い地域といわれている。

場所柄UCLA形成外科プログラムの卒業生も多く、私は運よくUCLAの先輩の一人にオフィスを譲渡してもらったのが、ビバリーヒルズでの開業のきっかけであった。

ビバリーヒルズは気候も温暖で開放的な文化がある。映画などのエンターティンメント産業も盛んなので、容貌のみならず、気候が温暖で水着を着る機会も多く、プロポーションにも注意を払っている人が少なくない。そのため、数ある美容外科手術の中では脂肪吸引や豊胸手術の要望が多い。また人種のるつぼといわれるアメリカにあって、アジア系アメリカ人やアジアからの留学生が多い地域性もある。

ビバリーヒルズのクリニックでの出来事である。

アルは30代の男性で、過去にアメリカンフットボールの選手をしていた。身長が190cm、体重も100kg以上はある大男である。下腹部とラブハンドルという腰回りの脂肪を取ってほしいとのこと。ラブハンドルは英語のスラングで”Love Handles”といい、脇腹のふくらみを指すのであるが、それが抱擁する際に手に触れるからLoveなのかどうかは定かでない。アメリカでは開業していてもオフィス(日本語でいう「クリニック」は英語ではドクターズ・オフィスという)は広めで手術室もそこに入っているベッドも大きいのであるが、彼の場合そのベッドから体がはみ出してしまう始末。

アメリカでは脂肪吸引は一番頻繁に行われる形成外科手術の一つで、過去には「大量脂肪吸引」といって一回で5リッター以上の脂肪を取ることもあった。現在、州によって異なるが、カリフォルニア州では日帰り手術の場合、5リッター以上の吸引はできないような法規制がある。5リッター以上の大量吸引では体液のバランスが崩れたり、下手をすると死亡事故になることがあり、入院して全身状態を管理しなければ安全に帰宅できないからである。逆に2〜3リッターの脂肪吸引では出血もほとんどなく、きわめて安全に施術を行うことができ、安心して日帰りできる。

アルは3リッター位の脂肪を取る予定で手術は順調に進んだ。しかし、問題は麻酔からの覚醒であった。通常何事もなくぱっと目がさめて回復するのだが、彼の場合大暴れしてしまった。まれに夢と現実をさまよっているような感じに陥る患者もあって、彼もその例だった。

「アル、手術は終わったよ、わかるかい?」という呼びかけに対して、まるでアメリカンフットボールの選手がフィールドから起き上がるように、急に目を開けて、上半身をばっとあげてタックルするような感じで「うおーっ」と叫びながら起きようとする。からだが大きいのでベッドから落ちないように支えるのが大変である。3〜4人がかりでこちらも体ごとタックルし返して、なんとかベッドに寝かせる。

そして「アル、大丈夫なんだよ。手術は終わったんだよ。」といってなだめ、またタックルが始まり、と、この繰り返しが何度か続いた。 手術よりもこちらの方が大変であった。このタックル分の労力は手術前に予測できなかった都合上、手術費用の割り増しは請求できなかった!!

リズは40代の白人女性。十年ほど前に他医で豊胸手術を行い、次第に胸の状態が硬くなってきたので来院。診察の結果、片方のインプラント周囲にリップリング(Ripplingと英語で表記し、表面の波打つしわ状態をさす)というしわがいくつにも現れ、バッグ自体も回りから締め付けられたような感じになっている。彼女はできればバッグを抜去してしまいたいと思っている。これは3度(重症)のカプセル化という状態で、豊胸手術をした10人に一人くらいの割合で片側の胸に起こるとされている。

カプセル化というのは豊胸バッグの周辺に瘢痕組織の皮膜ができて、徐々にそれが厚くなっていく状態のことである。1度のカプセル化は薄い皮膜だけで問題なし。2度は触るとわかる程度の波打つ皮膜ができている状態。3度は第3者が見てもわかる状態で、痛みを伴うことも多い。治療は手術が必要で、全身麻酔下時間をかけて丁寧にカプセルを剥離してゆく。 出血が多くなるのでなかなか大変な手術である。

この患者さんの問題点はそのバッグの大きさにあった。日本では通常大きくても300cc前後のインプラントが使われていると思うが、彼女のそれは700ccであった。仮に700ccのバッグを抜いて放置した場合どうなるだろうか?極限まで膨らんだ胸が急にしぼんで、余った皮膚が大きなたるみとしてあらわれてしまうのである。

「リズ、大きなインプラントが入っているのだから、抜いてしまうだけでは後が大変なことになりますよ。カプセルを取って、少なくとも普通サイズのインプラントは入れないとおっぱいが垂れ下がってしまいますよ」と手術前にその可能性を十分に話していたのだが、彼女は新しいインプランを入れることを拒絶した。

さて手術が無事終了し、フォローアップで1ヶ月後に検診。案の定、彼女の表情は暗い。どうみてもあまった胸の皮膚が垂れ下がって問題なのだ。

「ドクター、どうしてこうなるの?何とかしてください」と泣き出す始末である。結局彼女はそれから1年後にまた新たに小さめのインプラントを入れると同時に、部分的なリフトの手術も行った。この手術は乳輪の周りを上方を中心に切り取って辺縁を糸で引き寄せる方法である。

ビバリーヒルズのオフィスは、近隣に多くのアジア系アメリカ人やアジア各国からの留学生も多かったので、二重まぶたの手術も多く手がけた。特にいわゆる「切らない二重まぶた」を希望する患者さんが多かった。アメリカではアジア系住民の肌の特性や構造を熟知している専門医が少ないので、さまざまな相談を受けることがあった。

まず切らない二重まぶた術に関してであるが、私のオリジナルメソッドのDST方式という術式は糸2本で3点固定を施すという方法で、二重のラインが取れにくく長年にわたって効果が持続すると好評であった。私は開業拠点をビバリーヒルズだけでなくニューヨークにも広げていたので、多い年では年間100から150件ほど行っていた。

ほとんどの場合、合併症もなく順調な経過をたどるのだが、まれにラインが取れたり、化膿したりという不都合なことが起こることがある。年間100人手術したとしても2〜3人くらいの割合で起こる確率である。

患者さんのなかにはカリフォルニアやニューヨークだけでなく、遠くテキサスやフロリダからやってくる人もいた。そして困ったことに、この合併症というのが、どちらかというとそうした遠くの州から来られる患者さんに起こりがちであった。本当に不思議な話である。受付にフロリダから電話だそうである。

「ドック。覚えてますか?リンです。3日前二重まぶたの手術しました」。「どうしました?」。「どうも右目がちくちくして調子が悪いのですが:」。

「調子が悪いって、ただちくちくするだけですか?それとも目が赤くなっていますか?」と聞き返す。ほとんどの場合片方の腫れが強すぎて起こる現象なのだが、遠くからの患者さんは直接見ることができないので、場合によってはメールで写真を送ってもらったりしなければならず、電話だけで対応するのだが大変であった。

アメリカという国は本当に大きな国で、西海岸と東海岸では時差も3時間、ハワイの場合は6時間も違う。ロスアンジェルスとニューヨークはジェット機で5〜6時間かかる。日本的感覚で考えると、外国から患者さんが来ているという感じである。

わたしはこうしてアメリカで18年間すごした。


クレ カツヒロ ・ ロバート
プラザ形成外科


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